2016年 04月 27日
柳川にて |
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by utaka235
| 2016-04-27 21:18
| 写真
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2016年 04月 21日
手賀沼の近くの用水路沿い両岸に2キロに渡り桜並木がある。
二年前も訪れ、去年は逃したので行ってみようと先々週の土曜日、1時間ばかり車を走らせた。 期待を裏切らず、菜の花と一緒の桜は見事だった。 前回は7時頃には到着してたので、人出が少なかったが、今回は1時間遅れでそれなりの人出。 周りにはピクニック出来るような場所もないし、茶店が出てるわけでもない。 この桜を眺めながらお弁当食べたいなと思う。 人が群れてるので覗きこむと白鳥が一羽。 渡る時に取り残されてしまったのかな?と思ったら、これは渡り鳥の白鳥ではなく、住み着いてるコブハクチョウという種類で繁殖しすぎて困ってるらしい。 実家の方の白鳥は渡り鳥で、もういない。 #
by utaka235
| 2016-04-21 08:48
| 写真
2016年 04月 17日
十二感覚論の中の「視覚」
私達の思考は特に目を通して活動している。 自分が見るものを自分の思考が決定づける。 思考は私たちが見るものに、私たちが見たいものを補う。 その結果そこに目の錯覚が生じる。目の錯覚というとより判断の錯覚かもしれない。 私達人間は自分自身の魂の中に閉じこもりがち。 だからこそ私たちは、自然の中に身を置いて、自分自身を解放されたいと思う。 目は他の感覚器官と違い、私たちのそのような気持ちを迎えちれてくれる。 と、ズスマンさんは言っている。 目から色々な情報を取り込んでいる。 人と人とが出会う時、目は大きな役割を演じてて、その目には見えない手で、遠くにある世界に触れている。 そんなところをパステルで表現してみました。 宿題は、視覚とは何なのかを「見ること」と「見ないこと」の違いを通して考えてくること。 今は、単純なことしか思いつかない。 一ヶ月寝かせてみよう。 #
by utaka235
| 2016-04-17 10:58
| パステル画
2016年 04月 16日
「魂の扉・十二感覚」アルバート・ズスマン著から。
色を環状に並べるのが可能なのは、最後の色が最初の色へと移行してくことができるからだ。 紫は紫がかった真紅と紅色を超えて、赤は移行していく。これは色に見られる著しい特徴だ。 同様なことは音の場合にも可能だろうか?高と低は繫がるか?味の場合は?塩味から苦味へ向かい、再び塩味へ戻ることはできるだろうか?では温度は?ここでも高と低は繫がるだろうか? 目は色彩の環を巡ることができるという事は、目がもつ大きな奇跡なのだ。 一つの色をじっと見つめてから目をつむると、そこに別の色が見える。それはいつも実際に見た色の対極にある色、色彩環の反対側にある色だ。 このようなことは色の場合にのみ見られる現象なのだ。 酸っぱいものを舌にのせたら舌の他の縁に甘さを感じることはなく、下水の嫌な臭いを嗅いだ結果としてユリの香りを感じるなどということもあり得ない。 これは目がもつ驚くべき謎なのだ。目はいつも、欠けているものを見事に調和的に補完してくれる。 こんなことを学びながら色を重ねていった。 水彩でするより、パステルでの方が私は好き。 細かな粉が混じり合っていき微妙に色が変化していくのが、単純に面白く感じる。 #
by utaka235
| 2016-04-16 11:10
| パステル画
2016年 04月 12日
友人の絵が「創元展」にでいると聞き、また同時開催の「水彩連盟展」に興味を持ち、乃木坂まで行った。
勤めていたころの辺りの面影なし。 どちらも、作品の大きさに圧倒され、そこから訴えてくる強い力を感じ、 絵にも色々あるなぁ~~。 多くの作品を見ることはとてもいいと感じた。 昼から別の予定が入ってたので充分時間をかけることはできなかったが、かけてたらヘトヘトになってしまっていただろう。 #
by utaka235
| 2016-04-12 18:20
| 写真
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