2016年 04月 16日
ゲーテの色彩環 |
「魂の扉・十二感覚」アルバート・ズスマン著から。
色を環状に並べるのが可能なのは、最後の色が最初の色へと移行してくことができるからだ。
紫は紫がかった真紅と紅色を超えて、赤は移行していく。これは色に見られる著しい特徴だ。
同様なことは音の場合にも可能だろうか?高と低は繫がるか?味の場合は?塩味から苦味へ向かい、再び塩味へ戻ることはできるだろうか?では温度は?ここでも高と低は繫がるだろうか?
目は色彩の環を巡ることができるという事は、目がもつ大きな奇跡なのだ。
一つの色をじっと見つめてから目をつむると、そこに別の色が見える。それはいつも実際に見た色の対極にある色、色彩環の反対側にある色だ。
このようなことは色の場合にのみ見られる現象なのだ。
酸っぱいものを舌にのせたら舌の他の縁に甘さを感じることはなく、下水の嫌な臭いを嗅いだ結果としてユリの香りを感じるなどということもあり得ない。
これは目がもつ驚くべき謎なのだ。目はいつも、欠けているものを見事に調和的に補完してくれる。
こんなことを学びながら色を重ねていった。
水彩でするより、パステルでの方が私は好き。
細かな粉が混じり合っていき微妙に色が変化していくのが、単純に面白く感じる。
色を環状に並べるのが可能なのは、最後の色が最初の色へと移行してくことができるからだ。
紫は紫がかった真紅と紅色を超えて、赤は移行していく。これは色に見られる著しい特徴だ。
同様なことは音の場合にも可能だろうか?高と低は繫がるか?味の場合は?塩味から苦味へ向かい、再び塩味へ戻ることはできるだろうか?では温度は?ここでも高と低は繫がるだろうか?
目は色彩の環を巡ることができるという事は、目がもつ大きな奇跡なのだ。
一つの色をじっと見つめてから目をつむると、そこに別の色が見える。それはいつも実際に見た色の対極にある色、色彩環の反対側にある色だ。
このようなことは色の場合にのみ見られる現象なのだ。
酸っぱいものを舌にのせたら舌の他の縁に甘さを感じることはなく、下水の嫌な臭いを嗅いだ結果としてユリの香りを感じるなどということもあり得ない。
これは目がもつ驚くべき謎なのだ。目はいつも、欠けているものを見事に調和的に補完してくれる。
こんなことを学びながら色を重ねていった。
水彩でするより、パステルでの方が私は好き。
細かな粉が混じり合っていき微妙に色が変化していくのが、単純に面白く感じる。
by utaka235
| 2016-04-16 11:10
| パステル画